Botanical Communicationでは、植物とコミュニケーションをとるためのコツや、植物と向き合うときの意識の置き方を、実践を通して学んでいきます。 植物と会話をするというと、特別な能力が必要なことのように思われるかもしれません。
けれど実際には、こちらの思いを一方的に伝えたり、何か答えを引き出そうとしたりするのではなく、まず植物の前で静かになることから始まります。
相手がどのような状態にあるのか。
今、こちらに意識を向けているのか。
それとも、風や光、周囲の自然に心を遊ばせているのか。
植物にも、それぞれの時間があり、それぞれの在り方があります。
その在り方を尊重しながら、そっと意識を重ねていくことも、植物とのコミュニケーションにおいて大切なことのひとつです。
今、芙蓉の花が満開の見頃を迎えています。 大きくやわらかな花びらをひらき、夏の光の中で、どこか涼やかに佇んでいます。
ある日、芙蓉の花に「こんにちは」と声をかけました。
けれど、芙蓉はこちらに気づく様子もなく、葉や花びらの間を通り抜けていく風に身をゆだねています。
二度目の「こんにちは」にも、返事はありません。
芙蓉はただ、そよぐ風の感触を楽しむように、静かに空を見上げていました。
三度目に、もう一度そっと呼びかけると、ようやくこちらの存在に気づいたように、
「あら、そこにいたの?」
とでも言うような、やわらかな気配で「こんにちは」と返してくれました。
けれど、それもほんの一瞬のことでした。
芙蓉はすぐに、再び斜め上の空へと顔を向け、花びらの間を通り抜けてゆく涼やかな風を、静かに楽しみ始めました。
こちらの呼びかけに応じることよりも、今この瞬間に流れている風とともにいることのほうが、芙蓉にとっては大切だったのでしょう。
その姿には、誰かに合わせるのではなく、自分の心地よい場所に自然に身を置いているような、穏やかな自由さがありました。
芙蓉の周りには、まろやかで優雅な気配が流れています。
そのエネルギーは、まっすぐに強く押し出されるというよりも、美しい曲線を描きながら、ゆるやかに周囲へ広がっていくように感じられました。
水面に生まれた波紋のように。
あるいは、やわらかな布が風にほどけながら、空間を包んでいくように。
けれど、そのやさしさは、ただ柔らかいだけではありません。
人をそっと包み込むようなぬくもりと同時に、花を中心として、周囲へぱんと張られたような、力強いエネルギーも感じられます。
やわらかく受け入れながらも、必要以上に踏み込ませない。
優雅にひらかれながらも、自らの中心は失わない。
芙蓉のエネルギーには、受容と境界、やさしさと強さが、ひとつのものとして存在しているようでした。
優雅でありながら、芯のある強さを持っている。
やわらかく包みながら、静かに守っている。
その在り方に触れていると、芙蓉は傷ついた人の心に寄り添う力を持っているように感じられました。
傷そのものを急いで消そうとするのではなく、その傷のまわりを、やさしく、あたたかな力で満たしていく。
痛みに触れながらも、その人の中にある本来の力を信じ、少しずつ元のかたちへと戻っていくのを、静かに支えてくれるようなエネルギーです。 深く傷ついた心は、すぐに元通りになるわけではありません。
身を守るために閉じた心が、再びひらいていくまでには、その人なりの時間が必要です。
失われたように思えた力も、外から無理に与えられるのではなく、安心できる場所の中で、内側から少しずつ戻ってきます。
そんな癒しの時間に、芙蓉の持つエネルギーは、そっと寄り添ってくれるように感じられました。
「そのままでいても大丈夫」
「急いでひらかなくても大丈夫」
「あなたの中には、もう一度立ち上がる力がある」
芙蓉は多くを語ることなく、ただ風の中に佇みながら、そのような静かな安心を伝えてくれているようでした。
優しさ。
受容。
優雅さ。
そして、自分の中心を守る強さ。
芙蓉の花が持つこれらの質は、傷ついた心が本来のしなやかさを取り戻し、もう一度、自分らしくひらいていくための時間を、やさしく見守ってくれるのかもしれません。
植物とのコミュニケーションでは、言葉として届くものだけが答えではありません。
花の向き。 風に揺れる姿。
その植物の周囲に流れている空気。
近づいたときに感じる身体の感覚や、心に浮かぶ印象。
そうした小さなものを、決めつけずに、丁寧に受け取っていきます。
植物は、人間の都合に合わせて話してくれるわけではありません。
だからこそ、その植物が今どこに意識を向け、どのような世界を生きているのかを尊重することが大切です。
芙蓉との短い会話は、植物とつながるということは、言葉を交わすことだけではなく、その存在のリズムに静かに触れることなのだと、あらためて教えてくれました。
